建築設計からITの世界へ。
すべての経験が
経営者となった今につながる
- 株式会社ユニークポジション
代表取締役 - 本造 雅美さん
- HONZOU Masami
- 1993年度 工学部建築学科(現:建築?都市環境工学科)卒業
1995年度 大学院工学研究科博士前期課程 環境設計工学専攻(現:建築建設工学専攻)修了
建築学科だったのに製図が苦手。
バンドとアルバイトに勤しんでいました
自宅から通える国立の大学を選ぶこと――これが、大学進学にあたり、親から出された条件でした。おのずと2大学に絞られ、得意だった理系のなかでも興味を惹かれた福井大学工学部建築学科へ進みました。大学時代はバンドとアルバイトが中心の毎日。大学近くの喫茶店か、ロック研究所の部室にいりびたっていましたね。当時はバンドブームで、「プリンセス プリンセス」のコピーバンドを組み、ボーカルとギターを担当していました。学部生の途中から学費を自分で賄っていたので、アルバイトもかなり頑張っていました。言いにくいのですが授業にはあまり出ず、中でも製図が苦手。私のなかには、建築は知恵を出し合って創るものという概念があり、一人で黙々とこなす製図にどうしてもなじめなかったのです。そんな状況が変わったのは研究室に入ってからで、コンサートホールなどの建築音響の研究が面白くなり、大学院でも続けました。
修了後は建築音響の業界への就職を希望しましたが狭き門のため思うようにいかず、石川県の商社へ就職しました。入社して数年間は空調事業部で、苦手だった製図をすることになりましたが、学生の頃とは違って不思議と苦痛じゃなかった。制約がある中でベストな設計をすることに面白さを感じていました。その後、同部のパソコン担当になり、一人で100台ほどのパソコンを管理し、社内のIT化も任されるように。現在のITビジネスの基礎はここで培われました。やりがいがありましたが、もっと上を目指そういう思いが強くなり、10年務めた会社から転職することにしました。1級建築士の資格を取得していたので、転職先として建築業界も考えましたが、発展めざましいIT業界へ進むことを決意。Webサイトやシステム開発をしていた会社へ転職し、2016年に事業を引き継ぐ形で今の会社を起業しました。
大学時代は決してまじめな学生ではありませんでしたが、充実はしていました。大学は高校までとは違い、自分の意志でいろんなことが決められます。1年留年しましたが、今思えば、それも含めて貴重な経験です。岐路に立たされた時、責任をもって考え、行動する。社会に出る前に大学でそんな経験をすることは将来必ず役立ちま
す。
経営者になりたいと思ったのは、
会社の利益分配を決められる唯一のポジションだから
経営者になろうと思ったのは、会社の利益を人材や設備投資など自分の裁量で配分できるから。ここぞ!と思う分野や事業に利益を還元し、社会貢献にも繋げられます。そのために「この分野ならユニークポジションの本造に任せれば間違いない」と思ってもらえる仕事をしていきたいです。
- バスケットボールも得意。ポジションはスモールフォワードで、他の人がやらない独自の得意技を持っていました。
- 入学してすぐにロック研究所、通称“ロッ研”に入部。学園祭では先輩のステージを見に行き、最前列でヘッドバンキングをしたことも。